3月8日 塩谷惠策 神父

3月8日 四旬節第主日

■マタイによる福音書 17:1-9

(そのとき、)イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

■塩谷神父さまのお話

 今日の御ミサには数人ほど来られるのかな、と思っていました。ところが、これだけ沢山の方が御ミサに、そしてイエス様の御聖体を拝領するためにおいでになった、そのことに祇園教会の信仰の底力を感じました。

 下関で感染なさった方が出ました。今朝、広島に来られている片柳神父さん(宇部教会)に聞いたら、宇部、小野田の教会では「今日、そして15日のミサはありません」とのことでした。百瀬神父(山口教会)によれば、「山口教会はミサはするけれども、全員マスク着用。司祭もマスクをつける」とのことでした。

 さて、ペトロたちは雲の中からの声を聞きました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」。この御言葉を、私たちも人生の終わりに聞きたい。この御言葉を神様からいただけたら、私たちの人生は、本当によかった、生まれてきてよかった、生きてきてよかった、と言えるものとなります。どんなにこの世で苦しみがあっても、不幸や悔いるものに出会ったとしても、最後に「あなたは私の心に適う者、私の愛する子である」と言われたら、それで十分です。そしてその時、神様を仰ぎ見る。「至福直観」と言いますが、顔と顔を合わせて神を見まつる。そうなったらもう、何もいらない。この世の最高の幸福ですら色あせてしまう。アビラの聖テレジアなどの神秘家は、観想の中で神様を垣間見る恵みをいただいたとされます。そうなると、すべてが取るに足らないものとなり、神様だけになる。

 ペトロは輝くイエス様を見ると、もう無我夢中になって、「私たちがここにいるのは、すばらしいことです」と言います。これ以上素晴らしいことはありません。もうずっとここに居ましょう、ですから小屋を建てます、と言います。ルカの福音書などには、「自分が何を言っているのか分からなかった」とも記されています。材料をどこから集めてくるのか、そのようなことは一切考えずに、「ここに仮小屋を三つ建てましょう」と言うわけです。このままずっと、この時間が続くようにという願いの表れでしょう。父と子と精霊、三位一体の永遠の命に迎え入れられることの素晴らしさを、私たちの日々の生きる目的としながら、力強く歩んでいきましょう。

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