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12月2日 サトルニノ・オチョア神父

December 6, 2018

12月2日 待降節第一主日

                

ルカによる福音書 21:25-28、34-36

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

 

■オチョア神父さまのお話

 懐かしい祇園教会に戻ってきて、皆さんと一緒に待降節の最初の日を迎えられるのは、とても嬉しいことです。 お手元の「聖書と典礼」をごらんください。今まで「年間第○主日 B年」と書かれていた部分に「待降節第1主日 C年」と記されています。典礼暦は、C年を迎えたということです。先週の日曜日、「王であるキリスト」の祝日をもって、一年の典礼は締めくくられています。ちなみにA、B、C年には理由があります。A年には特別の日以外は毎日、マタイによる福音書が読まれます。B年にはマルコ、C年にはルカの福音を読み、味わいます。ではヨハネの福音はどうなるかというと、特別な時、ご復活の時に読まれます。このようにして私たちは、神のみことばに親しみ、その精神の懐に入っていくことができます。

 では、(典礼暦の)今年読まれるルカ福音書の特徴とはどのようなものでしょうか。一番の特徴は、その文章がとても優しいということです。たとえば大天使ガブリエルがマリアに受胎を告知する場面を素晴らしい文章で記しているのは、ルカです。「放蕩息子のたとえ」を記しているのは、ルカだけです。「善きサマリア人」の素晴らしい例えが記されているのも、ルカ福音書だけです。第二の特徴、それはルカの福音で大切にされるのは、いつも弱い人、貧しい人、女性だということです。  さて、待降節に入り、私の着ている祭服の色も、「年間」の緑から紫に変わりました。また待降節にはロウソクが4本立てられます。待降節には必ず、4つの日曜日があります。第1日曜は1本、第2日曜には2本、というようにロウソクを灯し、クリスマスを迎えるのです。ロウソクにはどんな意味があるのでしょう。昔の人々は夜、ロウソクの灯りを頼りに生活をしていました。ロウソクは闇を照らす光、命の象徴です。ロウソクは蝋がある限り燃え続けます。全てを尽くして信仰の火を灯し続けることができますように。

 

 先ほどお話ししたように、「王であるキリスト」の祝日を持って一年が終わりましたが、今日の福音朗読も、「終わり」について語っています。大きな出来事があり、全世界が巻き込まれる……。私たちは時には悲観的になりがちです。特に、自分の弱さによって悩んでいる人たちにとって、「人の子」が来て裁きが行なわれるというのは、怖いことでしょう。しかしヨハネの福音でイエスは、「私は裁くためではなく、救うために来た」と言っておられます。誰が裁き、誰が裁かれるのか。私の考えでは神さまのそれは、私たちの社会のあり方とは全く違う。神さまは人間とは違います。私たちの社会では、訴えられた時には法廷に立ち、証拠を並べ、証言し、そして裁判官が裁きます。しかし神様の前で私たちは、そのようなことはしません。もしそのようなやり方で裁きが行なわれるなら、私たちの中で誰一人、救われる人はいないでしょう。 神さまを迎える時、私たちは自分で自分自身を裁きます。そして許されます。その時、私たちは本当に清くなり、正直になり、洗礼によって結ばれているイエス・キリストが私たちのところに来られます。それを見て神様は、「放蕩息子のたとえ」の父のように、私たちを抱きしめ、「あなたはもう、僕でも奴隷でもなく、私の子である」と言ってくださいます。そして父である神から、イエス・キリストから、どれだけ愛されているのかを悟った時、命じられたからではなく、自らの心を清く貧しくできるのです。このように神さまを迎える時、私たちは自分を卑下すること、自己嫌悪に陥ることはできません。ただ愛をもって全てを受け入れます。

 最後に待降節を迎えるにあたっての心のあり方を2つの言葉でお伝えしたいと思います。一つは「待ち望む」。私たちは一人で神さまのとこに行くことはできないけれども、イエス・キリストと手をつなぎ、肩を組んで歩いていくことを待ち望みます。そしてもう一つの言葉は、「探し求める」です。私たちの周りには必ず神さまの力が働いています。職場にも、家族の中にも、あらゆるところに潜んでいる神さまの力があります。その神を捜し求める。「主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください」(詩編4-7)と祈りながら、待降節を迎えましょう。

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祗園カトリック教会の特色

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

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