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9月16日 加藤信也 神父

October 1, 2018

9月30日 年間第26主日

                

 

■マルコによる福音書9:38-43、45、47-48

 (そのとき、)ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。

 わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。」

 

 

■加藤神父さまのお話

 今日の福音には、2つの異なる話が含まれています。一つは「逆らわない者は味方」、もう一つは「罪への誘惑」と題された箇所です。後半の部分は、私たちにとって、非常に厳しい内容と言えるかも知れません。今日の「聖書と典礼」の表紙には、「最後の審判」の壁面彫刻の写真が載っています。この彫刻は、今日の福音朗読の後半部分に呼応するもののようです。

 今日の福音の前半は、イエスの弟子であるヨハネの言葉で始まります。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちに従わないので、やめさせようとしました。」それに対してイエスは、「逆らわない者は味方だ」と答えます。イエスの名前を使って悪霊を追い出す。イエスの名前には、何か大きな力がある、ということなのでしょう。では、聖書は、名前について、どのように語っているでしょう。

 旧約聖書のモーセの十戒に、名前についての戒めがあります。「あまたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」。今から15年ほど前、日本の司教団から1通の手紙が出されました。その内容は、聖書の中に出てくる「神の名前」を、「主」という言葉に代えてください、というものでした。今、我々が持っている新共同訳聖書では、「主」という言葉が使われています。これはモーセの十戒に沿ったものでしょう。

 私たちにとっても、名前は大切なものです。両親は、考えに考えて、この子にはこんな風に育ってほしいという願いを込めて名前をつけます。小学生だったか中学生だったかの頃、自分の名前の由来、両親がどんな思いでなまえをつけたのか、親に聞いてきなさい、という宿題が出たのを覚えています。ともかく、名前は大切なものです。相手の名前を間違って読んだり、手紙のあて名が誤っていたりするのは、大変失礼なことだと考えます。誰かと親しくなる時も、まず名前と顔を覚えてもらうところから、人間関係が始まります。我々としては、神さまの親しさを大切にしたいと思う。

 しかし神は、自分の名前をみだりに唱えてはならないと言われます。聖書には、名前はその人の本質を表し、名前には力があるという考え方があります。

 また聖書の中には、人の名前が変わる、という記述も見られます。たとえば、アブラムがアブラハムに、サウロがパウロに変わる。では、どういう時に名前が変わるのか。それは、その人の役割、使命が変わる時です。我々も洗礼の時に、洗礼名という新たな名を名乗ります。今日までの私と今日からの私は違う。先例によって、古い私が死んでいく。新しい私が生まれる、というわけです。 イエスの名によって悪霊を追い出すのを止めさせようとしたヨハネに、イエスは「やめさせてはならない。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方である」と言いました。

 「すべての道はローマに通じる」という言葉があります。神にいたる道も、一つではないと言えるのかもしれません。一つの山の頂上にいたる道は、いくつもあります。イエスの弟子たちも、イエスの名によって悪霊を追い出していた人たちも、同じ一つの頂上を目指していたのかもしれません。エキュメニズム(教会一致促進運動)という言葉があります。残念ながらキリストの教会は、長い年月の中で分裂しました。しかし異なる道を歩んでいても、混ざす頂上は一つ。お互いに兄弟姉妹として認め合い、共に祈りましょうという運動です。あるいはキリスト教以外の人々との対話を重視する。これも現代のカトリック教会の一つの特徴です。

 イエスは約2,000年前、「一つになること」の大切さを伝えました。イエスは、一人で祈るのではなく、2人あるいは3人の人がイエスの名によって集まるならば、私(イエス)もその中にいる、と教えています。果たして私たちは、そんなイエスの思いを、自らのものににしているだろうか。今日の福音は我々に、そのことを振り返らせるものと言えるのかも知れません。

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祗園カトリック教会の特色

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

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