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9月16日 加藤信也 神父

September 18, 2018

9月6日 年間第24主日

                

 

■マルコによる福音書 8:27-35

(そのとき、)イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」

 

■加藤神父さまのお話

 私たちは皆、それぞれの人生を生きています。人生の歩みは、しばしば「山」に喩えられたりもします。 今日の福音は、マルコ福音書のちょうど真ん中あたりの箇所です。イエスが「公生活」という山に登っていく前半部分と、山を下っていく後半部分の中間に位置する箇所と言えます。

 イエスの公生活、宣教活動は、前半では成功したかのように見えます。では、後半はどうか。後半は、十字架に向かっての歩みとなります。それを象徴するかのように、今日の第一朗読では、イザヤ書50章の「主の僕の歌」が読まれました。このイザヤ書は、イエスが登場する何百年も前に書かれたものですが、今日の朗読箇所は、イエスの生涯を象徴するかのようにも思われます。

 今日の福音は、3つの箇所に分けると分かりやすいかも知れません。1番目は、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」というイエスからの問いかけです。次にイエスは、人々、ではなく「あなたがたはわたしを何者だ言うのか」と弟子たちに尋ねます。それに対するペトロの答えは、「あなたは、メシアです」。それに対しイエスは「多くの苦しみを受け、殺され、三日の後に復活することになっている」と、自分の行く末、受難と死について弟子たちに明かします。そして3つ目の箇所では、「わたしの後に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と弟子たちに語り掛けます。つまり2つ目の箇所では自分の受難と死、復活を語ったのに対し、3つ目の箇所では自分に従おうとする弟子たちが歩む道について語ったわけです。

 

 イエスとは何者か。これは聖書の中心的なテーマと言えるでしょう。今日の福音には、このテーマが「問い」として、まず表れます。聖書に慣れ親しんでいる私たちにとっては、「イエスとは何者か」という問いの答えはすでに分かっている、と言えるかも知れません。しかしイエスの問いは、我々に「模範解答」を求めているものではない、と思います。

 「私にとって、イエスとはだれであるのか」「私の生涯にとって、イエスはどんな意味を持っているのか」「イエスと出会ったことで、私はどんな風に変えられたのか」。私たち一人ひとりが自分の言葉で語る答えを、イエスは確認したいのではないでしょうか。イエスはまず「人々は」、次に弟子たちに「あなたたちは」と問いかけました。その次には当然、今日、ミサにあずかっている私たち一人ひとりに対して「では、あなたは」と質問することでしょう。

 イエスの質問には、目的があります。その目的とは「確認」です。ミサの中にも「確認」があります。司祭が尋ねる。そして皆さんが答える。たとえば聖体拝領の時、司祭は聖体を示して、「キリストの御からだ」と言います。これはイエスの体である、という宣言でもありますが同時に、もう一つの要素もあるように思います。それは、「あなたは、どう思いますか」という問いかけです。これに対し皆さんは、「アーメン」と応じます。アーメンとは、「そうです」「そうでありますように」という意味です。この言葉なしに聖体拝領が行われることはありません。アーメンという言葉を聞いて、司祭は皆さんの手に聖体を置きます。

 「あなたがたはわたしを何者だというのか」という問いに対してペトロは「あなたは、メシアです」と答えました。それをうけてイエスは、「ではあなたに、わたしのこれからについて告げよう」と受難・死・復活を語ります。そして十字架の道行きを共に歩む仲間として、弟子たちを受け入れます。このように、自分の信仰を言い表すということには、具体的な「行い」が続いていきます。逆に大切な行いの前には、私たちの信仰が確認される、ともいえるでしょう。

 我々の信仰には、晴れの日もあれば曇りの日もある。時には雨の日もあれば、嵐が吹き荒れるかもしれません。「今日の私の信仰」はどうなのか、神様の前に立っている私たちの信仰はどうなのかが、日々問われます。そのようなことを思いながら、私たちに新しい使命が与えられるよう、今日の信仰宣言をご一緒に唱えたいと思います。

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祗園カトリック教会の特色

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

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