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082-874-5198

広島県 広島市安佐南区 祇園 3-6-1

hikari@gionkyokai.jp

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

祗園カトリック教会の特色
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11月19日 中井淳 神父

November 21, 2017

11月19日  年間第33主日 

 

 

■マタイによる福音書 25:14-30 △25:14-15、19-21

 (そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。)「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

  《早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。》

 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

 《次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」》

 

■中井神父さまのお話

 大学生の頃、オチョア神父さまから、今日の福音朗読「『タラントン』のたとえ」の説教を聞いたことがあります。オチョア神父さまはこう言われました。「実はここに記された僕のほかに、3タラントン預かった者がいた。その僕は主人のために、一生懸命3タラントンを殖やそうとしたが、商売がうまくいかず、お金を全部失ってしまった。そこで主人が帰ってきた時、『赦してください。一生懸命殖そやうとしたのですが、失敗しました』と告げた。そうしたら主人は何と言ったと思うか。きっと主人は『よくやった、忠実な僕よ』と言ってくださったろう」。

 1タラントン預かった僕は、主人のいつくしみを信頼しなかっのですね。怖い主人だと思っていた。私たちは、「失敗してもいい、それでもあなたはそのままで出ていきなさい」と言って下さる主を信頼して、歩んでいけたらいいなと思います。

 

 私は昨年、8か月、オーストラリアで第三修練をさせてもらいました。第三修練で最も大切なのは、30日間の霊操です。霊操をやると、一番最後に「愛の観想」という祈りがあります。私たちは人生の中で沢山の恵みを神様からいただいています。家族がいて、出会いがあって、友人がいて、毎日食べるものに恵まれて……。そういうものを想いながら、神様に感謝を捧げるのですが、私は「愛の観想」の中で、一つ願っていたことがありました。イエスさまが私をどんなまなざして見てくれているか、それを見たかったのです。イエスさまの愛が詰まったまなざしを見たかったのですが、結局それはかないませんでした。自分の人生を振り返り、神様からいただいた恵みを一つひとつ思い浮かべ、感謝を捧げていたけれど、あまり心が大きく揺れ動かなかったんです。

 そこで、もしかしたら私の祈り方に何か足りないものがあるのではと思って、ちょっと質問を変えてみたんですね。私が人生でいただいたものの中で一番大きな恵み、一番大切なものは何だろう。そう考えた時、答えはただ一つ、イエス・キリスト。私はイエス・キリストをいただいた。私は修道生活の中で、色々なものを神様にお返しした。手放さなければならないものもあった。そうして空っぽになった私の心の真ん中にイエスさまが来て、私の傷を癒してくださった。そして共に歩いて下さっている。このイエス・キリストこそが、私にとっての一番のプレゼントなんだと思ったんですね。それは、イエスさまが私をどう見ておられるかではなく、私がイエスさまの目を通して世界を見ることができた瞬間でした。そして、私がこれから歩んでいく道は、心の真ん中に来て下さったイエス・キリストのまなざしで、一人ひとりを大切に愛していく、愛のまなざして見つめていくことだと思いました。

 私にとって最近のヒットというか、いつも心を燃えたたせてくれるのは教皇フランシスコなんです。フランシスコこそ、イエスさまのまなざしに深く出会った人、「あなたのことを愛している。私の大切な僕よ」というまなざしで見つめられた人だと思います。フランシスコはよく「外に出ていきなさい」と言われます。「私は自分をきれいに保って、自分をきれいに飾っている、そんな教会よりも、外に出ていって傷ついて、ボロボロになった教会の方が、私はよっぽど好きです」とも言われます。それは教皇がいつくしみの神様をいつも見ているからですね。いつくしみの神様は、私たちが外に出て行って、難しい現実の中に入って、ボロボロになって、たとえ失敗しても、それをよしとして下さる方です。

 またフランシスコは言われます。「キリストが門の外に立ち、扉をたたいている。私はその箇所を黙想するたびに、イエスは部屋の中に、鍵をかけて閉じ込められているのではないか、イエスさまが部屋の中で『扉を開けてくれ』と叫んでいると感じます」。

 私たちはイエスさまを連れて、外に出ていかなければならない。私たちの中にイエスさまが来てくださっています。私たち一人ひとりの良さを分かってください、私たちを必要としておられる。このイエスさまを連れて、大胆に外に出ていきたいと思います。そして、ボロボロになりながら人々に寄り添っていく時、私たちは喜びに出会うと思います。「主人」が言ってくれます。「忠実な良い僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と。私たちはこの喜びに呼ばれていると思います。フランシスコが見せてくれる満面の笑みのように、イエス・キリストと共にいる深い喜び、この喜びを私たちが共に分かち合っていく恵みを願いましょう。

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