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082-874-5198

広島県 広島市安佐南区 祇園 3-6-1

hikari@gionkyokai.jp

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

祗園カトリック教会の特色
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10月22日 作道宗三 神父

October 25, 2017

10月22日  年間第29主日 

 

■マタイによる福音書 22:15-21

 (そのとき、)ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 

■作道神父さまのお話

 今日は、大きな台風が近づいています。同時に我々にとって大切な衆議院総選挙の投票日でもあります。国民としての努め、それから神さまの前に出る(ミサにあずかる)こと、どちらも大切な努めだと思います。

 今読まれた福音の中に登場するファリサイ派の人々とヘロデ派の人々は、色々と意見の違いはあったようですが、その2つのグループが一緒になって、イエスを陥れようと質問します。「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っていますか」。これに対してイエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えます。この話を「政教分離のことでしょう」と解釈する人もいるでしょう。しかし事情はそれほど簡単ではありません。イスラエルでは王制時代、政治と宗教は密接な関係にありましたが、王とは別に祭司や預言者がいましたから、厳密には政教一致ではない、とも言えます。イエスの時代にも、政治的な権威と宗教的な権威は一致していませんでした。ローマ帝国が版図を拡大するようになると、状況はさらに変わっていきました。ローマ皇帝の中には、自らを神として礼拝するよう求める者もいました。少し時代が下りますが、キリスト教徒はローマ皇帝を礼拝せず、迫害を受けました。

 「税金に納めるお金を見せなさい」と言われたファリサイ派とヘロデ派の人々は、デナリオン銀貨をイエスに渡します。その銀貨の表には皇帝の像と「神なる皇帝ティベリウス」との銘が刻まれていました。ファリサイ派の人々は、自分を神とする皇帝への納税には反対でしたが、現実的な対応として、仕方なく税金を納めていました。ヘロデはローマ皇帝から恩恵を受けていたので、納税に賛成していました。根本的には相容れない考えを持つ2つのグループが、イエスを罠にかけるために手を結んだわけです。こうした中イエスは、あの有名な「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」との言葉は発したのです。イエスは地上の権威を否定されたわけではありません。パウロもイエスと同じ考えでした。すべての権威は神さまから来る。それを上手に遣う限り、権威は認めるべきものである。では、もし国の統治者やリーダーが自分を神の領域に置いて、人々に従うよう求めるならどうでしょう。豊臣秀吉から「デウスをとるか、私をとるか」と恭順を迫られた高山右近は、「デウスをとる」と明言し、そのために苦難の人生を歩みました。何よりも大切なのは、神さまに帰すべきものを、まっすぐにお返しすることだと思います。

 第一朗読では「イザヤ書」が読まれました。約50年に及ぶバビロン捕囚を終わらせたのは、今日の第一朗読の中に登場するペルシャ王・キュロスでした。イザヤ書(第二イザヤ)は、キュロスのことを「主によって油注がれた人。国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない」と記しています。キュロスがバビロニアを滅ぼし、イスラエルの人々を解放したのは、すべて神さまの力によるものである、ということです。しかしキュロスはそのことを知りません。

 

わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。

わたしはあなたに力を与えたがあなたは知らなかった。

日の昇るところから日の沈むところまで人々は知るようになる

わたしのほかは、むなしいものだ、と。

わたしが主、ほかにはいない。(イザヤ書45:5-6)

 

 苦しい歴史を通して、イスラエルの民は、強大な国を道具のように操って自分たちを救ってくださる「主」への信仰を育んでいきました。今、この地球は大きな変動期にあります。また世界は不安定な要素やさまざまな危機にあふれているようです。そのような時だからこそ、すべてを超える神さまに信頼を置きたいものです。たとえ小さな働きであっても、神さまのみむねに協力していくことができるよう願いつつ、ミサを続けましょう。

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