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10月1日 加藤信也 神父

October 4, 2017

10月1日  年間第26主日 

                

 

 ■マタイによる福音書 21:28-32

 (そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。)「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

 

 

■加藤神父さまのお話

 今日のミサの始めに、このミサは、亡くなられたリントホルスト神父さまの追悼ミサでもある、とお話ししました。皆さんの中には、「私はリントホルスト神父に会いました。よく覚えています」という方もいれば、「私の記憶の中には……」という方もおられるかも知れません。

 リントホルスト神父は1920年7月7日に、オランダで生まれました。彼がイエズス会に入会したのは、19歳の時でした。10代で自分の人生を決めることができた時代。若者が成熟していた時代。となれば、恐らく社会も、成熟していた社会ということかも知れません。イエズス会に入会した12年後、31歳で司祭に叙階されています。イエズス会では叙階の後に「第三修練」という期間がありますが、それを終えた後、33歳の時に日本にやってきました。来日した翌年、34歳ではすでに教会に送られ、萩教会で助任司祭として日本での活動を始めました。その後94歳で東京のロヨラハウスに退くまで、実に60年にわたって、現役の宣教師として、それも東京などではなく、ずっと山口・島根地区、広島地区の教会で働き続けてこられました。そして今年の8月14日、神のもとへ召されました。97歳でした。

 萩教会の後、彼は米子教会の助任、観音町教会の主任、山口教会の主任、細江教会の主任、出雲教会の主任を務めました。観音町教会の主任司祭となったのは、彼が37歳の時でしたが、実はその当時15歳だった池尻少年(後の池尻廣幸神父)が、観音教会の近くに住んでいました。池尻少年は、身近でリントホルスト神父の姿を眺めながら、イエズス会への入会を決意したのです。出雲教会の主任司祭を6年務めた後、リントホルスト神父は山口・島根地区の地区長となりました。そして地区長の任期を終えた後、この祗園教会で主任司祭を務めたり、清心幼稚園の園長を務めたりされました。彼がいた間、祗園教会でも、色々なことがあったと思います。彼にとっては大変なこともあったかも知れませんが、祗園教会にとって、彼と共に過ごした4年間は、貴重な4年間であったろうと思います。

 

 さて、今日の福音は、父親が二人の息子に「ぶどう園へ言って働きなさい」と言うところから始まります。兄は「いやです」、まあよくもキッパリと言ったものだと思いますが、「いやです」と断った。その後、どういうわけか考え直して、働きに行った。……弟も、面白いですね。「お父さん、承知しました」。そのように調子よく答えたにもかかわらず、ぶどう園には行かなかった。何とも対照的な二人の兄弟です。

 で、ここでイエスは問います。「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」。答えは明らかでしょう。「承知しました」と行って行かなかった弟よりも、一度は「いやです」と断ったものの、考え直してぶどう園に行った兄こそが、父親の望み通りにした、ということになるでしょう。また、ここで(選択肢として)欠けているのは、「はい承知しました」と行って、本当にぶどう園にいく息子、ということにもなるようです。今日の福音を、リントホルスト神父さんの生涯と重ね合わせてみると、恐らく彼は、「承知しました」と言って、すぐにぶどう園に出かけた息子のような生き方をされたのではないかな、とも思われます。

 今日の福音は、「神の国に先に入るのは誰であるか」を語ることによって、イエスの思いが一体どこにあるのかを教えている話だと思います。イエスの目に貴重だと映るのは、「嫌だ」「もうダメ」と諦めてしまって、イエスからの呼びかけに応えないことではなく、「思い直して、もう一度」というところであると思います。つまりは神の関心事、神にとって貴重であるのは、過去にどうであったのか、嫌だと言ったのか、ハイと言ったのかではなく、今、私はどうしようとしているのか、これからどうなのか、そのことであるように思います。

 過去を振り返る時、思います。過去を消すことのできる消しゴムがあったら、どんなに素晴らしいだろう、幸せだろう。しかし誰も、過去を変えることはできません。変える、あるいは今から作ることができるのは、「今」であり「これから」です。どんなに素晴らしい人生を生きた人であろうと、生きている間に聖人とされることは、ありません。生きているということは、まだ悪いことをする可能性がある。その人の人生が終わってすべてが決まった後に、列聖についての調査は始まります。それに対して、今、この世にある私たちは、たとえ罪人であるにせよ、まだ時間が残されています。それは何のための時間なのか。天に宝を積むための時間だと思います。

 神さまの目にとまるのは、過去に犯してしまった大きな罪ではなく、「もう一度、やりなおそう」、そんな諦めない心であるように思います。今日の福音朗読の最初に、イエスの問いかけの言葉があります。

「あなたたちはどう思うか」

 あなたたちは、この二人の兄弟を見て、どう思うか、というわけですね。「私はこう思います」という言葉による答えではなく、きった私たち一人ひとりの具体的な行いによる答えが、今、待たれているのだと思います。

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祗園カトリック教会の特色

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

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