ADDRESS

082-874-5198

広島県 広島市安佐南区 祇園 3-6-1

hikari@gionkyokai.jp

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

祗園カトリック教会の特色
Please reload

最新記事

9月17日 加藤信也 神父

September 20, 2017

9月17日 年間第24主日

 

■マタイによる福音書 18:21-35

 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

 

■加藤神父さまのお話

 私たちは日曜日のたびに、こうやって教会に集まり、ミサにあずかります。皆さん、ミサにあずかる時、「今日のミサのテーマは何だろう」とお考えになることもあるかと思います。その日のミサのテーマは「集会祈願」に述べられている、とも言われます。

 

「愛の源である神よ、分裂と争いに悩む世界に、あなたはゆるしと和解の道を示してくださいました。わたしたちがキリストに従う者として互いに受け入れ合い、神の愛を現していくことができますように」

 

 これが今日の集会祈願です。今日のミサのテーマは、「ゆるし」「和解」と言ってもいいいと思います。

 毎日の生活を振り返ってみると、そこにはさまざまな人間関係があります。「私はまわりのみんなに支えられています」「私も他の人たちを支えています」、そんな人間関係もあれば、逆に傷つけられたり傷つけたりする関係もあります。

 傷つけられた時、あるいは傷つけた時、その傷をそのまままにしておく、ということはできません。傷は癒されるべきものです。そして「癒し」のためには、「ゆるし」必要となります。

 

 今日の福音朗読は、「仲間をゆるさない家来のたとえ」と題された話です。王が家来に貸したのは1万タラントン。とにかく高額です。その借金が返せないなら、「自分も妻も子も、持ち物も全部売って返済しろ」と王は言います。厳しい言葉です。ところがその後に、「憐れに思って」、つまりかわいそうだと思っただけで、その借金を全部帳消しにしてしまうという、王の心の変化にも驚かされます。

 話はここで終わりません。むしろその後に問題が起こってくる。借金をゆるされた家来は、自分が金を貸している仲間の首を絞め、「借金を返せ」と迫り、牢に入れてしまった。それを伝え聞いた王は怒って、家来を牢役人に引き渡します。

 聖書には、お金の単位がいくつか現れます。「デナリオン」。これは割とよく聞く単位です。イエスの時代、労働者の一日の日当に相当するのが1デナリオンだったようです。1デナリオン手に入れると、一つの家族が、贅沢はできないにしろ一日、生活できる。もし6,000日働くと、6,000デナリオン。この6,000デナリオンが1タラントン。仮に日当を、計算しやすく1万円とするなら、1タラントンは6,000万円。さらに、今日の福音朗読で、王が貸したお金は1万タラントンですから、もし私の計算が間違っていないなら、6,000億円。王はかわいそうになり、6,000億円の借金を帳消しにした、というわけです。一方、家来が仲間に貸していたのは100デナリオン、100万円位ですね。100万円の借金となれば、あるいは我々のまわりでも、あまり珍しくない金額かも知れません。

 

 私たちは弱く、時には利己的な顔を見せる存在です。傷つけたり、傷つけられたりが繰り返されるこの世を生きていくためには、我慢が必要です。しかし、我慢には限界がある。ゆるしにも限度がある。無制限にゆるすことなど、私にはとてもできない。無制限にゆるすことは、ゆるされる側にとっても、決していいことではない。まず、私を傷つけたあの人が、私に謝罪すべきで、私からのゆるしは、その後だろう……。そんな風にも考えます。

 どんな償いも、おわびの言葉も、失ったものを元通りにすることはできません。傷つけられた記憶、傷跡は残っていきます。しかし同時に「ゆるし」は、互いの関係を再びもとに引き戻そうとします。「ゆるし」は、失われたものにもう一度いのちを与える、再びよみがえらせる、さらに以前にも増して強い絆で結びつけるものです。

 今日の物語は、天の国は次のようにたとえられる」という言葉で始まる「たとえ話」です。「ゆるし」とは、私たちがいつか受け入れられるはずの天の国の一つの特徴であるということを、イエスは「たとえ」によって私たちに伝えています。私たちがゆるしたり、ゆるされたりする時、天の国は、この地上にも実現している、とも考えられます。

 

 「ゆるす・ゆるされる」ということをテーマにした福音が今日読まれる、そのことにも意味があると思います。先週の月曜日は9月11日。9.11同時多発テロが起きたのは、今から16年前のことでした。あの事件から3年ほど経ったある日のこと。当時私は、東京のイグナチオ教会にいました。教会にやってきた一人の比較的若い男性から、「葬式をしてほしい」と頼まれました。「どなたが亡くなられましたか」と聞くと、「実は亡くなったかどうか、はっきりしない」と言います。よく聞いてきれば、あの日、ニューヨークの貿易センタービルで、彼の奥さんが銀行で働いていた。ご存知の通り、飛行機がビルにぶつかり、遺体は見つからない、とのことでした。結局、男性の願いにこたえ、遺体も遺骨もない葬儀を執り行いました。

 あのテロは、神の名を語ったテロでした。そして神の名を語った報復戦争が起きました。この地上に「神の国」を実現するように招かれている政治家たち、各国のリーダーたちが、天の国ではなく、地獄を実現してしまった。そして今私たちは、北朝鮮との間に、非常に難しい問題を抱えています。聖書にはこんな言葉があります。

 

「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」(ローマ12:19)

 

 神はそのように語ります。復讐、攻撃、批判は神の領域だ。私たち人間はそんな領域に足を踏み入れるべきではない、と。復讐が復讐を呼び、憎しみが憎しみを増していくこと。実はそれは、自らが背負う重荷をさらにさらに重くしていることに他ならない。そんな負いきれない重荷は、神に任せておくべきでしょう。

 

 今日の福音で1万タラントン、100デナリオンという金額が登場することには意味があります。6,000億円の負債を帳消しにする。これは遠くなるほどの、神の限りない愛を象徴的に示すものです。神のゆるしには、限りがない。私たちが、ただ、ゆるされるだけではなく、ゆるすことのできる者になれるよう祈りながら、ミサを続けましょう。

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

ソーシャルメディア
Please reload

アーカイブ
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square