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8月27日 作道宗三 神父

August 30, 2017

2017/8/27  年間第21主日 

               

■マタイによる福音書 16:13-20

 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

 

 

■作道神父さまのお話

 今日の福音朗読は、イエスのご生涯の中の、一つの大きな山とも言える箇所です。ここではペトロの信仰告白、そして、ペトロに与えられた大きな使命について語られます。

 第一朗読のイザヤ書では、神がエルヤキムに新しい役割を与えられます。その役割とは、

 

 —彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう—

 

 というものでした。この神の言葉が、福音朗読のイエスの言葉と重なります。

 イエスは弟子たちに聞きます。「私を誰だと思うか」とたずねられます。人は色々な思いをイエスに抱いていました。洗礼者ヨハネの生まれかわりだという人もいれば、「再び現れる」と信じられていた預言者エリヤだと言う者や、エレミヤ、あるいは預言者の一人だと言う者もいました。

 イエスは、「では、あなたがたは、私を何者だと思うのか」と、ご自分に一番近い弟子たちにたずねました。するとペトロは、代表して、「あなたはメシア、キリスト、救い主、生ける神の子です」と答えます。イエスこそ、人々が待ち望んでいた、そして自分たちを救って下さると信じていた「救い主」である。これこそ、キリスト教の根本にある信仰です。

 しかしその時、ペトロは、(自分の発した)言葉の意味が、どこまで分かっていたでしょうか。ペトロが信仰を告白したのは、まだイエスが十字架にかかる前のことです。病人を何人も癒される。数々の奇跡を行う。そうしたイエスの力強い姿を見て、ペトロは「この方こそ、キリストだ」と思ったことでしょう。しかし皆さんご承知のように、ペトロは後に大きな過ちを犯します。そんなペトロに向かってイエスは、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と言われます。

 天の国の鍵を授けられる。これは第一朗読で登場したエルヤキムに与えられたより、さらにさらに大きな恵みと言えるでしょう。この偉大な権能、実はこれはペトロだけでなく、ペトロの後継者と言われる教皇様をはじめ司教様、そして一部は私たち司祭にも託されています。たとえば「赦しの秘跡」の際、「あなたの罪は赦された」と告げること、これは神さまからイエスを通して与えられた、大きな権能です。

 ところでペトロに、どうしてそのような大きな権能が与えられたのでしょう。私たちは聖書を読んで、ペトロがどんな人であったのか、色々な面を知っています。人は良い。でも、少し弱いところもある。一番大事な時、すなわちイエスが捕らえられて裁きにかけられる時、「あなたもあの男(イエス)の仲間じゃないのか」と問いつめられると、イエスを否んでしまった。ユダのように裏切る、というところまではいかないけれども、師を「知らない、関係ない」とまで言ってしまった人です。どうしてそのような弱さを持ったペトロが、天国の鍵を託されたのか。むしろそのような弱さを持っていたからこそ、大きな権能が与えられた、と言えるかもしれません。権能というものは、自分の力、才能、努力の結果、獲得するようなものではない。神からただで与えられるものです。無論、前提として「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰告白があることは、言うまでもありませんが。

 教会の歴史を見ると、立派な教皇様、指導者、聖人が沢山います。と同時に弱さに包まれた人も大勢います。指導者や教皇様の中にも、過ちを犯した人たちがいます。それでも神さまは教会を導き続けて下さいます。

 では、パウロはどうでしょう。パウロはペトロとは違い、非常に優れた人であり、聖書のこと、律法のことを誰よりもよく学び、知り、ファリサイ派であり、それを誇りに思っていました。しかし彼は、復活のイエスに出会って、それまで誇りとしていたものが塵芥(ちりあくた)に過ぎないと悟り、回心しました。パウロは言います。「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」。パウロにも、弱さがあったようです。彼はそれを「とげ」と表現しています。この「とげ」が何を意味するのか、確かなところは分かりませんけれども、彼にも弱さがあったのです。

 キリストの力が、私たちの内に宿るように、私たちも自分の「弱さ」を心に留めていきたいと思います。結局、「弱さ」は十字架つながると思います。イエスさまが十字架につけられて亡くなられた。その弱さの極み、惨めさの極みを通して、神さまの栄光が表れる。そうした信仰を新たにして、キリストへの信仰を強めていくことができますように、祈りましょう。

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祗園カトリック教会の特色

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

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