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082-874-5198

広島県 広島市安佐南区 祇園 3-6-1

hikari@gionkyokai.jp

当教会は、イエズス会管轄の修道会教会です。教会敷地内には、純心聖母会広島修道院、清心幼稚園が有ります。

1949(昭和24)年、日本と同じように戦後の復興に苦労するドイツの人たちから篤志を得て最初の聖堂が建てられました。1963(昭和38)年、聖霊に捧げて献堂された現在の聖堂は2013年、献堂50周年を迎えました。

祗園カトリック教会の特色
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7月9日 作道宗三 神父

July 13, 2017

2017/7/9  年間第14主日

 

■マタイによる福音書 11:25-30

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

■作道神父さまのお話
 今日のミサの第一朗読は、「ゼカリヤの預言」でした。お聞きになって、4月9日、枝の主日のことを思い出された方がおられるかも知れません。受難の主日の入堂式で朗読されたマタイ福音書21章に、今日の「ゼカリヤの預言」が引用されています。

 

「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』(マタイ21.5)

 

 イスラエルの民は、バビロン捕囚というつらい体験をした後、ようやく故郷に帰り、失われた神殿を再建します。しながら、まだ周囲の国々の恐怖から解放されたわけではない。そんな状況の中でゼカリアは、「まことの平和をもたらすメシアがおいでになる、人間が頼りにする武器、軍事力などてはなく、神が与えられる平和によって、平和をもたらす」と告げ知らせました。

 

「見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。」(ゼカリア9.9-10)

 

 イエスが生きられた時代、イスラエルはローマ帝国の直轄地となり、総督の支配下に置かれていました。人々は重税にあえぎ、常に目を光らせている、権力の象徴ともいうべき兵士におびえていました。そうしたローマの圧政に対して、ガリラヤ地方では反乱の動きがあちこちで生まれていたようです。無論、ローマはそうした動きを力でねじ伏せます。このような政治的な「軛(くびき)」に加え、もう一つ、民衆を締め付けていた力があります。先祖伝来の掟、律法を守ることを最大の関心事とする宗教指導者たち、律法学者たち、ファリサイ派の人々です。
 こうした政治的、宗教的監視のもにと置かれていた民衆に対してイエスは、語りかけました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 私たちも日々の生活の中で、しばしば疲れを覚えます。十分すぎるほどの重荷を負っている、と感じている人もおられるでしょう。しかしここでイエスが言われている軛とは、律法にさらに加えて科するものではなく、すべての掟の要ともいうべきもの、すなわち神への愛、隣人への愛、これだけをしっかり守っていきなさいという「愛の掟」てあると思います。すべてのものに生命を与え、養ってくださる父なる神の慈しみに心を開き、復活して私たちと共にいると約束して下さった主と共に生きる。信頼の心でいきる。それがイエスが私たちにお与えになった軛です。

 しかしながら軛とは本来、負うのが苦しいものです。ではなぜイエスは、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われたのでしょう。それは主イエスが、軛を共に担ってくださるからです。
 軛とは本来、2頭の牛馬を横に並べてつなぐものです。その軛を負いなさいということは、一人ではなく、私(イエス)と共に負いなさい、ということを意味します。どんなに辛い状況であっても、イエスが共に苦しみ・重荷を担ってくださる。しかし我々はついついそれを忘れて、一人で頑張ってしまいがちです。真の平和は、イエスと共に歩む、イエスが共に歩んでくださることによって与えられます。

 第2朗読ではパウロの言葉が語られました。

 

イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」(ローマの信徒への手紙8:9)

 

 復活されたイエスの霊が私たちの内に宿り、働いておられる、ということです。
 私たちはそれぞれ、自分自身が重荷を持ち、また家族、自分が属する職場、組織なども、さまざま問題を抱えています。また私たちが生きているこの世界が、大きな大きな課題を抱えています。容易に解決できない、無数の問題がある。たとえそうだとしても、「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」というイエスのことばを信じ、イエスが送ってくださる霊の力によって、さまざまな問題(軛)をイエスと共に担い、主が望まれる道を進み、主が示される方向に共に歩んでいく。そうした恵みを願いましょう。
 また、特に大きな重荷を負っておられる方、病気や悩みで苦しんでおられる教会の兄弟姉妹、日本で、世界で苦しんでいる沢山の方々、特に今回の豪雨で犠牲となられた方々、そのご家族のためにもこのミサの中で祈りを捧げましょう。

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