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6月18日 作道宗三 神父
2017/6/18 キリストの聖体(祭日)
■ヨハネによる福音書 6:51-58
(そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
■作道神父さまのお話
今日、「キリストの聖体」の祭日のミサの朗読は、申命記から始まりました。
イスラエルの民がエジプトから脱出する(Exodus)、そして約束の地に入るまでにシナイ半島の荒れ野で、40年と聖書に記されている、長い年月を過ごさなければなりませんでした。食べ物もない、水もない、何もない、人が住むようなところではない、そんな場所で過ごした日々は、実はイスラエル民族が誕生する原点ともいえる、大事な経験でした。そして彼らは、このような経験を歴史の中で繰り返し、味わわなければなりませんでした。「炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野」で、イスラエルの民は、予想もしなかった恵みをいただきます。神は、「硬い岩から水を湧き出させ、マナを荒れ野で食べさせて」下さいました。
こうした不思議な体験譚を読みますと、これは私たちにとって、どんな意味があるのか、と考えたくなります。考えてみれば私たち一人ひとりも、人生の歩みの中で、こうした「荒れ野」を歩む時があるものです。
私自身の経験でいえば、昨年の春、こちら(広島)に来ることになりました。ようやく慣れてきた東京、すさまじい大都市を離れて、ゆったりとした広島に来る。少し身辺整理もしなければならない。身軽になろう、ということで、色々なものを捨てました。多くの本も、「これはいらないだろう」と思って処分しました。そして広島にやってきて、いざ働きはじめてみると、いやぁ、あれがない、これがない。あの本を、どうして持ってこなかったんだろう、と色々なことで後悔したり、不満を感じたりしました。「どうして、こんなところに来たのだろうか」などと思うこともありました。無論、祇園教会は伝統あるすばらしい教会です。でも、環境が変わると、人は心のどこかで「荒れ野」にいるような思いを抱くものではないでしょうか。たとえば親許を離れて一人暮らしを始める、予期せぬ病気、アクシデントに見舞われる、愛する人を失う……。そうした経験の一つひとつが、イスラエルの民に与えられた「荒れ野」のようなものだとも言えます。そうした「荒れ野」に似た経験は、決してマイナスだけではなく、そうした経験を通して神さまは、今までとは違った恵みを与えてくださる。広島で新たな生活を始めて、失ったものもたくさんあるが、同時にいただいたものもたくさんあります。今まで以上に、みことばをじっくりと味わえることを感謝しています。また、みことばについて、いろいろと恵みをいただくことにも感謝しています。
今日の第一朗読でモーセは、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためである」と語っています。人は自分の力で、あるいは自分の努力によって獲得したものだけでなく、神の恵み、あるいは神のみことばによって生かされていることを、私たちもあらためて感謝させていただきたいと思います。
ヨハネによる福音書の中には、イエスがパンを増やすという出来事が語られています。そしてそれに続いて今日の福音朗読箇所、ユダヤ人との間で、不思議なパンについて議論を交わしたことが記されています。
人類が繰り返し経験する「飢え」という現実から、この世の命を超えた永遠の生命にいたるパンについて、イエスは道を示されます。そして、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」と言われます。イスラエルの民は、荒れ野でマナを与えられて飢えをしのぎました。しかし人間には、物理的な飢えをしのぐだけでなく、人間存在そのものが、意識せずとも求めているものがあると思います。それをイエスはパンの形に託して、人々に与えようとしておられます。
イエスは人間の姿でこの世に現れ、さまざまな苦しみを受け、そして最期は十字架の上で、すべてを託し、お捧げになりました。そのご自分の形見として、記念として、人々が食べるパンとして、私たちに残してくださいました。よく、聖体のことを「旅路の糧」という言い方をします。私たちが人生の旅路を歩んでいく上で、さまざまな「荒れ野」に遭遇するでしょう。それを乗り越える力が、聖体をいただくことで与えられる。殉教者たちも、聖体によって殉教の苦しみに耐える力を与えられました。そうした苦しい時だけではなく、順風満帆の時も、それが自分の力、努力だけで得られたものではなく、神さまがお与えくださったものだということを悟るためにも、ご聖体をいただきたいと思います。
初代教会の人たちは「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美して」いました。イエスが最後の晩餐の席でパンを裂き、「これを取って食べなさい。私の記念として行いなさい」と言われたこと、これが教会を生かす原点、と言ってもいいでしょう。
今日の第二の朗読、コリントの教会への手紙でパウロは、「わたしたちが割くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」と述べています。聖体は血を顕す印であると同時に、命を生み出すものです。それを囲む私たち皆が、兄弟姉妹として、キリストを信じる家族として生きていることへの思いを新たにしましょう。そしてさまざまな部分から成る教会を、聖霊が一つにまとめて下さるように、そしてまた、キリストをまだ知らない人が多数であるこの社会の中で、私たちがキリストを証する者となれるよう祈りましょう。